闘病記

  お利巧だったビックちゃん

                          ※スムチー母さんの愛犬 ブログ⇒チビワン幸せ日記




1995年2月16日ゴールデンレトリバーのビック(♀)は札幌市のブリーダー宅で生まれる。
4月初旬、私の高校の入学式の日に我が家へ来る。

小雪とかいろいろ名前を考えていたのに大きいという単純な理由で私の母が『ビック』と名付ける。
とてもおりこうなビックはすくすくと育ち、お散歩中などに座ってる犬やお手をしてる犬などを見せてあれがお座りだよ、お手だよと教えると一回で覚えるほど賢い子だった。
ビックは公園の滑り台を滑るのがとても好きで子供たちがいない時によく滑って遊んでいました。


私の妹のような姉のような相談相手のようなビックに異変が起こったのは8歳になる少し前の平成15年1月のこと…。
ビックの目のシュンマクがほんの少し飛び出していました。          

気になった私はいつも予防接種でお世話になってた病院へ連れて行きました。
そこでの診断は原因が分からないから目薬を使って様子を見て。とのこと。
とりあえず、目薬を使って様子を見てましたがビックの目は悪化するばかり…。

同年3月に家の近所の評判のなかなかいい病院へ。 そこでの診断も原因不明。
今の目薬は効いていないようだからと違う目薬を処方される。
疑いながらもビック自身は元気なので重い病気とも思わず使用。 しかし良くなるどころかシュンマクはどんどん出てくる。
頬も腫れてくる。

同年5月…また、違う病院へ。 そこでは本を見せて来て丁寧に説明を受ける。
診断は歯周病。 頬のところに濃が溜まってるから手術して取り除けば治るとのこと。
とても親切な説明で信用しきった私は6月に手術を受けさせる。

しかし、その後の獣医の様子が明らかにおかしい。 もう一度手術をしなければならないからそれまで薬をのんでいてと言われ、その後いつになっても手術をしようとしない。 態度の急変に不信感をいだくようになる。

7月になりビックはいきなりぐったりとして鼻血を出す。 明らかにおかしい。 手術をした病院はすでに信用出来なくなっていたので少し離れた有名な病院へ連れて行く。
そこでの診断は…。
悪性の腫瘍があると思う。余命は1年ぐらいだろう…。
いきなりの余命宣告…
歯周病じゃなかったの?じゃあ、あの獣医はなんでそんな診断したの?
言葉にならずに診察室でビックを抱いて泣き崩れるしかできなかった。
その病院では腫瘍の判定や治療が出来ないので、大学病院を紹介される。
大学病院は1ヶ月待ちの状態。 8月にやっと大学病院の診察を受け、検査を受ける。

そこでの検査結果は… 頬に骨肉種が出来ている。
ガンの中でもっともたちの悪いガンである。
顔なので手術は出来ない。
もしするとしたら顔半分は無くなる。
前例はなく出来ない。
足によく出来るガンで足を切断してもすぐにリンパに転移し全身に転移、死亡する。
発症から3ヶ月ぐらいで死に至る子が多い。
1月に発症しているようなのですでに転移してるかもしれない。
安楽死も視野に入れて下さい。 と、いう感じのことを言われたであろう。

ビックの前で泣くしかできなかった。
でも安楽死は絶対に出来ない。
少しでも長く生きて欲しい。治療をしてほしい。と、すがる思いで大学病院の獣医に訴えた。
何度も同じことを言われたが私も何度も治療を望んだ。
そして抗がん剤は体への負担を考えると止めるべきと判断し、放射線だけで延命治療を行うことになった。
複数の獣医師によりチームが組まれる。
この時、幸いにも他に転移はしていなかった。

病院で骨肉種と言われた時から私とビックの本当の闘病は始まった。
ビックは一生懸命、放射線治療、薬とサプリメント、ミネラルがたくさん入った犬でも飲めるドリンク、ガンの進行を遅くするという魚を毎日食べた。

私はビックのために通常の仕事の他に夜の12時までバイトを始め、放射線治療の日は会社を遅刻して連れて行った。
この時睡眠時間は3時間あるかないか…。ビックのためなら辛くなかった。

それでもガンはどんどん進行していく。
目が1個分ズレるほどビックの顔は変形していた。
ビックと私はガンとわかった日から一緒に寝るようになった。
それまではケージで寝ていたのだが少しでも長く一緒にいたいと思った。
ビックに『ビックなら奇跡は起こる。だから一緒に頑張ろうね』と、言うとちぎれんばかりにシッポを振ってくれた。
本当にビックがもうすぐ死ぬなんて思えなかった。
散歩も行けるしやつれて顔は変形していたが食欲もあり元気だった。

11月の検査ではリンパに転移しているという結果が出た。
その頃、先生から安楽死という言葉は消えていた。
リンパに転移しているとわかっていてもまだ治るのではないかと私は死を受け入れられなかった。

12月に入り、ビックはいつも通り元気だった。
通院、薬やサプリメントの服用。ビックは一生懸命頑張っていた。
私はビックの気持ちが明るくなるようにと赤いパーカーを買って着せた。
そして写真を写した。
それが最後の写真になるとも思わずに…。

写真を撮った翌日の深夜… ビックがいきなり痙攣を起こす。
一緒に飼っていた、犬が心配して顔を舐めたり、猫は一生懸命背中をマッサージしていた。
それを見ると涙が止まらなかった。
すぐに聞いていた先生の携帯に電話をした。
明日の朝、6時には病院にいるからすぐに連れてきて欲しいとのこと。
痙攣は数分起きに治まってきていたものの意識はあまりなかった。
朝早くビックを母と抱き抱え、車に乗せ病院へと急いだ。
我が家から大学病院へは高速を使って車で1時間近くかかる。 無我夢中だった。

病院ではすぐにタンカーに乗せられ、治療のため連れて行かれる。
数時間待合室で待っただろうか…

先生に呼ばれ中に入ると線だらけで意識のないビックが寝ている。
先生からの説明…
ビックは脳、肝臓、腎臓に転移していて痙攣は治まったが尿毒症を起こしている。
治療をするか安楽死させるか自宅に戻り死を待つか選択を迫られた。
私はすぐに治療をお願いします。と伝えた。
こんな状態のビックを見ても元気になると信じていた。

その日からは仕事も休み、病院に通った。
先生は脳に転移しているから容態が良くなっても寝たきりになるだろうと言う。
私はそれでも帰ってくると信じ、新しい大きなベットも購入してビックの回復を待った。
寝ていて意識がほとんどないビックだが私がそばに行くとわかるようで一生懸命起きようと甘えようとしていた。

そんな無理なことはしなくていいんだよ。

見ていると涙が止まらない。


入院して3日目… お昼まで病院にいて兄が帰ってくるので一旦家へ戻った。
そして午後4時頃…電話が来た。
昼間は安定していたが容態が急変したからすぐ来てくれ。と、いう電話だった。
ちょうど兄が帰ってきた。
兄はダウン症という障害があり毎日施設に通っている。
母と兄を車に乗せ私は無我夢中で病院へ向かった。
涙がたくさん溢れ、どうやって病院へ行ったかまったく覚えていない。

病院へなんとか到着し、手術着の先生が涙を流して現れた。
ビックの死がすぐにわかった。
病室へ連れていかれ、そこには横たわりまだ温かいビックがいた。
抱いてもなぜても動かない。
涙が止まらない。

周りには先生数名と看病してくれた生徒さんたちが涙を流して立っている。
そして先生から『ご家族が到着するまでなんとか生かそうと戻って来ないか1時間以上心臓マッサージをしましたが戻って来てくれませんでした。』と、告げられた。
ビックが死んだなんて信じられないが目の前のビックは明らかに息をしていなかった。
私たちは間に合わなかったがビックはたくさんの人に看取られ、たくさんの人に愛されこの世を去った。

12月16日。
ビックが9歳になる2ヶ月前のことだった。
先生が最後私たちに『私は助教授です。何年もこの仕事をしています。その中で初めてビックが誰の手も借りずに押さえずに注射が打てました。こんなに治療に積極的な子は初めてです。ビックを治療出来てよかった。ありがとうございます。』ということを涙ながらに語った。
最初、安楽死を勧めた先生が最後は1時間以上心臓マッサージをしてくれた。
私たちの熱意が先生にも伝わったのだろう。
最後看取れなかったのは悔しいがここまでしてくれた先生には感謝の言葉しかない。
ビックを連れて帰り、その夜は私の布団で一緒に寝た。
他の犬や猫がビックの死をわかって犬は大声で泣いていた。あんな泣き方は初めて聞いた。
猫はしきりにビックを舐めて離れようとしなかった。
みんなビックをお母さんだと思っていたのである。

翌日、ビックのお葬式を家族で行った。
ビックの出棺… 涙がまた溢れ、止まらなかった。
ビックとの出会いは私の一生の宝物。

ビックは私をいつも支えてくれていた。
私が落ち込んでる時、鬱状態の時、いつもそばで私をなぐさめてくれた。
いつも明るく笑顔のビック。
病気になってもビックは辛そうにすることなくずっと笑顔だった。
人の顔を舐めらないように教えていたのに病気になってからはなぜか舐めてきてしきりに甘えてきた。
今までしっかりしなきゃとビックは思って頑張っていたんだろう。
こんなに優しくかわいいビックをガンにしかも骨肉種にさせてしまったのは私の知識不足に他ならない。
後悔が残り、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

ビックが亡くなった年の暮れに撮った写真には不思議な写真があった。
その写真はビックが使っていたケージのところに白い煙が写っていたのだ。
たぶん、その時ビックも一緒にそこにいたのだろう。
ビックの命日になると私はなぜか金縛りに合う。
けっして怖いものではなくそこにはビックがいるのだ。
私のことをいつも見守ってくれている。
今でも家に帰ればビックがおかえりと出迎えてくれる気がしてならない。

私は今、チワワ2匹と暮らしている。
北斗と海斗である。
北斗と海斗の存在は私にとってとても大きい。
彼らがこれからは私を支えてくれる。

ビックのようなことは絶対に繰り返さない。
そのためにもご飯やシャンプーにはとても気を使っている。
北斗と海斗は私のかけがえのない子供だ。
これからもビックのことは忘れることはないと思うがビックに教えてもらったたくさんのことを北斗と海斗にいかしていきたい。



症状・治療・検査数値・薬・費用




inserted by FC2 system